霜月二十四日【冬至】 晴れ
長い長い冬至の一日。友人のカフェで、友人と歌って、友人が聴いてくれる。なんでしょうかこの、小さな飽和的な球状の良関係。たまらん。
精神を集中させた後に開放する歌の喜び、気合いと経験で運ばれてくる美味い料理の喜び、10年来の交友を酒と駄弁りで浪費する喜び。たまらん。
夜が一番長い日に、朝陽が昇る前まで馬鹿騒ぎして布団に雑魚寝する楽しさを分かち合えるおバカな仲間がいることは、自分の最も貴重な財産のひとつなんだと思い知る。たまらん。
充足完了して、冬本番に突入。
【冬至】…日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=4.9:5.1
一年中で最も夜の長い日。この日より日が伸び始めることから、
古くはこの日を年の始点と考えられた。
冬至南瓜や柚湯の慣習が残る日。
※読み:トウジ
<参考:【室礼】和のこよみ>
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2008年12月21日
2008年12月16日
へそ曲がりつつ
霜月十九日 晴れ
天邪鬼でへそ曲がりと子供のころから言われていた記憶があり、その性質が顕著に表れるのが、クリスマスシーズンだった気がする。何で日本人でノンクリスチャンなのにキリストの誕生日を祝わなければならんのだ、と。そのくせ、親からの(いやサンタさんからの)プレゼントは甘んじて受け取り、学生時代にクリスマスパーティーを楽しみ、ケーキだって美味しくいただいてきた。
学生の頃からのサークル活動で、クリスマスにイベントを行うのが習慣にもなっていたせいか、先に述べた個人の偏屈性とは完全に矛盾しながらも、この時期のイベントには体が積極的に反応する。あえて言い訳をするならば、「自分が楽しむ」のではなくて「クリスマスを楽しんでる人たちを盛り上げる」んだという理由付けをして。
友人のカフェなどで、この時期の集客に力が入るのを見ると純粋に応援している自分がいる。いつもよりなんとなく気分が高揚して、ちょっとリッチに外食したいな、という世間の空気が売り上げにつながってくれれば嬉しいから。
そんなこんなの今年の年末。大好きなナチュカフェで、クリスマスイベントが開催される。23日と24日は気合のディナー、21日はアカペラミニコンサート付のランチorディナーの開催。

21日のアカペライベントには、お手伝いとして小生も参加させていただくことになりました。まずは美味しい食事を、そして付け合せに雰囲気あるアカペラを。

ディナーで食べたポークソテー♪ ↑オードブル↑も受付中との事!!
いずれも、要予約ですよーーー。
天邪鬼でへそ曲がりと子供のころから言われていた記憶があり、その性質が顕著に表れるのが、クリスマスシーズンだった気がする。何で日本人でノンクリスチャンなのにキリストの誕生日を祝わなければならんのだ、と。そのくせ、親からの(いやサンタさんからの)プレゼントは甘んじて受け取り、学生時代にクリスマスパーティーを楽しみ、ケーキだって美味しくいただいてきた。
学生の頃からのサークル活動で、クリスマスにイベントを行うのが習慣にもなっていたせいか、先に述べた個人の偏屈性とは完全に矛盾しながらも、この時期のイベントには体が積極的に反応する。あえて言い訳をするならば、「自分が楽しむ」のではなくて「クリスマスを楽しんでる人たちを盛り上げる」んだという理由付けをして。
友人のカフェなどで、この時期の集客に力が入るのを見ると純粋に応援している自分がいる。いつもよりなんとなく気分が高揚して、ちょっとリッチに外食したいな、という世間の空気が売り上げにつながってくれれば嬉しいから。
そんなこんなの今年の年末。大好きなナチュカフェで、クリスマスイベントが開催される。23日と24日は気合のディナー、21日はアカペラミニコンサート付のランチorディナーの開催。

21日のアカペライベントには、お手伝いとして小生も参加させていただくことになりました。まずは美味しい食事を、そして付け合せに雰囲気あるアカペラを。
ディナーで食べたポークソテー♪ ↑オードブル↑も受付中との事!!
いずれも、要予約ですよーーー。
2008年12月14日
景色
霜月十七日 雨のち曇り
気持ちの好い脱穀日和となった集合日から明けて翌日、つくばはいつもに増して冷たい雨の朝を迎えた。前日に参加できずに日曜日に作業予定していたプレーヤーの方にとっては、新米が遠のく残念な雨になってしまった。
雨が上がった遅い午後、農具のチェックと米の様子を見に畑に出直した。ふと、昨日とはうってかわって冷えた空気の中に、筑波山がぐっと近くに迫ってくるようにあらわれた。

いつもより少し早いような、筑波山の雪。紫峰の別名を持つ筑波山は、文字通り冬の季節を迎えて色を紫に変える。畑に遊びに来たsちゃんやumeさんペアも、脱穀中止に肩を落としながらも筑波山の淡雪景色を楽しんでいた。
夜、大学の先輩諸氏と夕食。自然農にちなんだわけではもちろんないが、名前に「耕す」の字や「木」や「花」のつく先輩たちと、さっぱりと話した。皆さん、興味だったり必然だったり家族だったり理由はあれど、想いをもって仕事してる話はやっぱり気持ちがよい。愚痴だったり、思い出話だったり、学生の頃のバカやってた糧が、それぞれに血肉になっての今でもある。その頃も、筑波山の頂には雪が被っていたのかもしれないのだが、呆れるほどにそんな情緒ある景色の記憶は残っていなかった。10年以上を経て、山の景色を日ごとに眺める暮らし。やれやれ、今の自分など微塵も想像していなかった自分がいて、さてこの10年後にはどんな景色を眺めているのか。
いよいよもって、面白く。
気持ちの好い脱穀日和となった集合日から明けて翌日、つくばはいつもに増して冷たい雨の朝を迎えた。前日に参加できずに日曜日に作業予定していたプレーヤーの方にとっては、新米が遠のく残念な雨になってしまった。
雨が上がった遅い午後、農具のチェックと米の様子を見に畑に出直した。ふと、昨日とはうってかわって冷えた空気の中に、筑波山がぐっと近くに迫ってくるようにあらわれた。

いつもより少し早いような、筑波山の雪。紫峰の別名を持つ筑波山は、文字通り冬の季節を迎えて色を紫に変える。畑に遊びに来たsちゃんやumeさんペアも、脱穀中止に肩を落としながらも筑波山の淡雪景色を楽しんでいた。
夜、大学の先輩諸氏と夕食。自然農にちなんだわけではもちろんないが、名前に「耕す」の字や「木」や「花」のつく先輩たちと、さっぱりと話した。皆さん、興味だったり必然だったり家族だったり理由はあれど、想いをもって仕事してる話はやっぱり気持ちがよい。愚痴だったり、思い出話だったり、学生の頃のバカやってた糧が、それぞれに血肉になっての今でもある。その頃も、筑波山の頂には雪が被っていたのかもしれないのだが、呆れるほどにそんな情緒ある景色の記憶は残っていなかった。10年以上を経て、山の景色を日ごとに眺める暮らし。やれやれ、今の自分など微塵も想像していなかった自分がいて、さてこの10年後にはどんな景色を眺めているのか。
いよいよもって、面白く。
2008年12月12日
つわもの
霜月十五日 晴れ

明日はつくし農園の集合日。三日前の降雨からは晴天が続き、干した稲の米粒をかじるとカリリと良い音がする。さあ、脱穀だ。
天日干しにした稲を食べるまでにする作業は、例年のように足踏み脱穀機、唐箕、籾摺り精米の力を借りて行う。それぞれに、やく一年ぶりの登場となる前の今日、物置から引きずり出して掃除とメンテナンスを行った。埃、壊れ、ゆるみ、汚れ達を、雑巾と金槌と紐と愛情で手直ししていく。もともとが自分よりも遥かに大先輩の農機具たちも多く、だいぶガタがきているモノであるのだが、一方で造りがシンプル且つ巧妙であるので、応急であるなら素人の手直しでも十分に整えられる。まずは明日。そして今年の作業まで持たせられたら、来年は大幅な修理も必要だろうか。
大正生まれ、昭和初期生まれ、歴戦のつわもの達に、もう少し頑張ってもらいましょう。
※過去記事から、つわもの達の雄姿を少し御紹介。
◇足踏み脱穀機◇ (2005年12月の記事)
◇唐箕◇ (2006年12月の記事)

明日はつくし農園の集合日。三日前の降雨からは晴天が続き、干した稲の米粒をかじるとカリリと良い音がする。さあ、脱穀だ。
天日干しにした稲を食べるまでにする作業は、例年のように足踏み脱穀機、唐箕、籾摺り精米の力を借りて行う。それぞれに、やく一年ぶりの登場となる前の今日、物置から引きずり出して掃除とメンテナンスを行った。埃、壊れ、ゆるみ、汚れ達を、雑巾と金槌と紐と愛情で手直ししていく。もともとが自分よりも遥かに大先輩の農機具たちも多く、だいぶガタがきているモノであるのだが、一方で造りがシンプル且つ巧妙であるので、応急であるなら素人の手直しでも十分に整えられる。まずは明日。そして今年の作業まで持たせられたら、来年は大幅な修理も必要だろうか。
大正生まれ、昭和初期生まれ、歴戦のつわもの達に、もう少し頑張ってもらいましょう。
※過去記事から、つわもの達の雄姿を少し御紹介。
◇足踏み脱穀機◇ (2005年12月の記事)
◇唐箕◇ (2006年12月の記事)
2008年12月09日
今
霜月十二日 曇りのち雨
底冷えの寒気が、家の中にシンと張りつめてきた。節句は二日前より「大雪」。つくばではまだ雪の声は聞こえてこないが、日暮れから軒を濡らしだした雨音に秋の温もりは残っておらず、冷たく厳しい冬の雨があたりを包む夜を迎えた。
昼、ストーブに火をつけて芋を焼きながら、来客のDanさんとしばし談笑した。そこから飛翔する、自分と世の中の終わる事のないバランス合戦への思考の旅。自分はどうあり、世の中はどうあるか。なぜ自然農に惚れて「今」のこの32歳の自分をこの場所に置いているのか。
家庭菜園のフィールドとして野菜作り、米作りなどをしたいわけでは全くない。安定的な食糧自給を目指しての就農だったり、安心・安全・健康な野菜を作りたくて農の世界に片足を踏み入れたわけでも、おそらくない。耕運機で耕して肥料を使って農薬を播いて作物を育てるんだとしたら、間違いなく、自分は今この場にいないはずなのだ。
ではどうして。そしてこれから何を。それを言葉でつむぐ時期は、今ではない気がしている。心の底に宿っている大切な「勘」、心の隣にそっといる大切な「人」、心の芯から楽しめる大切な「欲」、それらを混ぜ込んで炊き上げてとびきりうまい料理にするレシピとして、自然農を見つけてしまったんだという、今のこの、感触。まずは今、そして次へ。これからもどっぷり、自然農でまいりますので、どうぞ宜しく。

だって、面白いんだもの。それ以上の理由、ないもの。
寒さが運んでくれる翌春へのこの皮算用が、冬の隠れた楽しみ方なんだとしみじみ思うようになってきた。これってたぶん正しい。
【大雪】 …雪いよいよ降り重ねる折からなれば也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=6:4
もう山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。
平地も北風が吹きすさんで、いよいよ冬将軍の到来が感じられる。
この時節、時として日本海側では大雪になることもある。
ぶりやはたはたの漁が盛んになる。
熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色づく。
※読み:タイセツ
<参考:【室礼】和のこよみ>
底冷えの寒気が、家の中にシンと張りつめてきた。節句は二日前より「大雪」。つくばではまだ雪の声は聞こえてこないが、日暮れから軒を濡らしだした雨音に秋の温もりは残っておらず、冷たく厳しい冬の雨があたりを包む夜を迎えた。
昼、ストーブに火をつけて芋を焼きながら、来客のDanさんとしばし談笑した。そこから飛翔する、自分と世の中の終わる事のないバランス合戦への思考の旅。自分はどうあり、世の中はどうあるか。なぜ自然農に惚れて「今」のこの32歳の自分をこの場所に置いているのか。
家庭菜園のフィールドとして野菜作り、米作りなどをしたいわけでは全くない。安定的な食糧自給を目指しての就農だったり、安心・安全・健康な野菜を作りたくて農の世界に片足を踏み入れたわけでも、おそらくない。耕運機で耕して肥料を使って農薬を播いて作物を育てるんだとしたら、間違いなく、自分は今この場にいないはずなのだ。
ではどうして。そしてこれから何を。それを言葉でつむぐ時期は、今ではない気がしている。心の底に宿っている大切な「勘」、心の隣にそっといる大切な「人」、心の芯から楽しめる大切な「欲」、それらを混ぜ込んで炊き上げてとびきりうまい料理にするレシピとして、自然農を見つけてしまったんだという、今のこの、感触。まずは今、そして次へ。これからもどっぷり、自然農でまいりますので、どうぞ宜しく。

だって、面白いんだもの。それ以上の理由、ないもの。
寒さが運んでくれる翌春へのこの皮算用が、冬の隠れた楽しみ方なんだとしみじみ思うようになってきた。これってたぶん正しい。
【大雪】 …雪いよいよ降り重ねる折からなれば也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=6:4
もう山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。
平地も北風が吹きすさんで、いよいよ冬将軍の到来が感じられる。
この時節、時として日本海側では大雪になることもある。
ぶりやはたはたの漁が盛んになる。
熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色づく。
※読み:タイセツ
<参考:【室礼】和のこよみ>
2008年12月08日
では乾杯
霜月十一日 曇り

日曜日のつくいちを終えて翌日。つくいちメンバーの、はじめての懇親会。乾杯の挨拶が「では乾杯♪」で、締めの挨拶が「来月も頑張りましょう!」。それだけ。それが今のつくいちの、象徴のように思えて、ちょっとワクワクした。
イベントではなく、毎月の市場として根づいていきたい、という何となくの共有認識。「いいことやってる」ための確認場所でもなく、「いいことやりたい」ための表現場所でもなく、「いいこと一緒にやりませんか」というつながり場所でもなく、「わたしたちがここにいる」ための自己満足の場所でもなく。出店者のそれぞれの日々の中の、月に一度の出張所としての場所。こんな市場があったらいいよなと思った人がいて、その思いに相乗りする人がいて、各々の「こだわり」の一点は譲らずに、価値観を共有できる場所として生まれた定期市。
でもそれは雑草屋の小松が一人で思っている「つくいち」でもある。こうして考えを表に出してみて、違和感を感じたりするだろうし、別の考えも出てくるのかもしない。いち出店者として、つくいちに抱いてるイメージを少しだけ書いてみたかった。決して「つくいち」全体がひとつの考えをもっているわけではない。「背景までおいしい」という曖昧にも思えるテーマに対して、誤解を恐れずに言えば本気で真剣に受け答えられるお店や生産者が集まる市場でありたい。そんな人たちが集まっているし、増えていってほしい、と思っている。そんなワクワク感が好きなんだと思う。
選んだ商品の袋詰めの最中に「友達待ってるから早くして」と言ってしまうお客さんに対して、「どうして待てないんだろう?」と違和感をおぼえたりすること。何も買わずに挨拶もそこそこに写真だけ撮影してテントを離れていく来訪者に対して、それは失礼でしょ?と違和感をおぼえたりすること。お店にも客を選ぶ気持ちがあるということを、もしかしたら忘れてる人が多いのではないか、と思わされることを見聞きする今日この頃。「お客様は神様」という半分デタラメな信仰に対して違和感をもって、信念を持って商品とお客さんに向き合う出店者が集まった市場。と、いち参加者として思う「つくいち」。
参加しているメンバーの、それぞれの思いや気合いは、月に一度の出張所で表されるのではなく、それ以外の29日/一ヶ月にこそある。だから、乾杯の挨拶も、締めの挨拶も、象徴的に思えたのだと感じている。また来月、中央公園で、よろしく。「つくいち」はそんなテイストなような気がした、単なるいち出店者の、懇親会の後の、酩酊しながらのつぶやき。

日曜日のつくいちを終えて翌日。つくいちメンバーの、はじめての懇親会。乾杯の挨拶が「では乾杯♪」で、締めの挨拶が「来月も頑張りましょう!」。それだけ。それが今のつくいちの、象徴のように思えて、ちょっとワクワクした。
イベントではなく、毎月の市場として根づいていきたい、という何となくの共有認識。「いいことやってる」ための確認場所でもなく、「いいことやりたい」ための表現場所でもなく、「いいこと一緒にやりませんか」というつながり場所でもなく、「わたしたちがここにいる」ための自己満足の場所でもなく。出店者のそれぞれの日々の中の、月に一度の出張所としての場所。こんな市場があったらいいよなと思った人がいて、その思いに相乗りする人がいて、各々の「こだわり」の一点は譲らずに、価値観を共有できる場所として生まれた定期市。
でもそれは雑草屋の小松が一人で思っている「つくいち」でもある。こうして考えを表に出してみて、違和感を感じたりするだろうし、別の考えも出てくるのかもしない。いち出店者として、つくいちに抱いてるイメージを少しだけ書いてみたかった。決して「つくいち」全体がひとつの考えをもっているわけではない。「背景までおいしい」という曖昧にも思えるテーマに対して、誤解を恐れずに言えば本気で真剣に受け答えられるお店や生産者が集まる市場でありたい。そんな人たちが集まっているし、増えていってほしい、と思っている。そんなワクワク感が好きなんだと思う。
選んだ商品の袋詰めの最中に「友達待ってるから早くして」と言ってしまうお客さんに対して、「どうして待てないんだろう?」と違和感をおぼえたりすること。何も買わずに挨拶もそこそこに写真だけ撮影してテントを離れていく来訪者に対して、それは失礼でしょ?と違和感をおぼえたりすること。お店にも客を選ぶ気持ちがあるということを、もしかしたら忘れてる人が多いのではないか、と思わされることを見聞きする今日この頃。「お客様は神様」という半分デタラメな信仰に対して違和感をもって、信念を持って商品とお客さんに向き合う出店者が集まった市場。と、いち参加者として思う「つくいち」。
参加しているメンバーの、それぞれの思いや気合いは、月に一度の出張所で表されるのではなく、それ以外の29日/一ヶ月にこそある。だから、乾杯の挨拶も、締めの挨拶も、象徴的に思えたのだと感じている。また来月、中央公園で、よろしく。「つくいち」はそんなテイストなような気がした、単なるいち出店者の、懇親会の後の、酩酊しながらのつぶやき。
2008年12月05日
ぽっくぽく
霜月八日 曇りのち雨
週末のつくいちで販売予定の「石焼き芋」を先日から少しずつテスト焼きしている。埃を被っていた中古の圧力鍋や煎餅が入っていた一斗缶に、ホームセンターにて数百円の丸石を敷きつめ、ストーブの上で数十分。えも言われぬポクポクの焼き芋が出来上がる。自然農イモは、ネバネバしたしつこい甘さがなく、落ち着きと清涼感がある旨味がある。人の意思で育てた甘さとはどこか違うような、軽くて深い甘さ。

冬、ストーブ、石焼き芋。幸せの方程式。
ポイントとしては、掘りあげてから数日ほど置いておいたイモを、中火の火にかけた石の上で30分以上半密閉状態で焼いていく。ああ、それだけ。もう、ポックポクですわ。
週末のつくいちで販売予定の「石焼き芋」を先日から少しずつテスト焼きしている。埃を被っていた中古の圧力鍋や煎餅が入っていた一斗缶に、ホームセンターにて数百円の丸石を敷きつめ、ストーブの上で数十分。えも言われぬポクポクの焼き芋が出来上がる。自然農イモは、ネバネバしたしつこい甘さがなく、落ち着きと清涼感がある旨味がある。人の意思で育てた甘さとはどこか違うような、軽くて深い甘さ。

冬、ストーブ、石焼き芋。幸せの方程式。
ポイントとしては、掘りあげてから数日ほど置いておいたイモを、中火の火にかけた石の上で30分以上半密閉状態で焼いていく。ああ、それだけ。もう、ポックポクですわ。
2008年11月30日
逆らわず
霜月三日 晴れ

稲を刈り終え、安堵す。里山と林に囲まれていた吉瀬から移り、筑波颪(つくばおろし)を正面に受け止めるここ玉取の田畑は、初冬の枯れ進み方が幾分速いように思われる。寒さを正面に受け止めた夏の命は、ためらわず逆らわず見事に枯れ果て、残された米や豆や芋は次の命としていよいよ習熟を迎える。枯れた命はそこで潰えるのではなく屍として田畑に重なり、また残る命は食物として種として次に繋がれやがては田畑へと戻ってゆく。
自然農の巡りは決して絶えず、絶やさず、命の連鎖の中で次の命がまた育まれていく。作物も、雑草も、虫も風も雨も陽も、想いをもその巡りの中に包んで豊かさを増していくような気がする。
身を切る北風を受けて臆面なく翌春へ身を預ける草々のごとく、己への困難と機会を正面に受け止めたい。どんな停滞も悩みも自己嫌悪も、自然農の田畑のように全てが繋がれて巡るごとく。ためらわず、逆らわず、枯れてみる。それこそが次の命の源であるから。

稲を刈り終え、安堵す。里山と林に囲まれていた吉瀬から移り、筑波颪(つくばおろし)を正面に受け止めるここ玉取の田畑は、初冬の枯れ進み方が幾分速いように思われる。寒さを正面に受け止めた夏の命は、ためらわず逆らわず見事に枯れ果て、残された米や豆や芋は次の命としていよいよ習熟を迎える。枯れた命はそこで潰えるのではなく屍として田畑に重なり、また残る命は食物として種として次に繋がれやがては田畑へと戻ってゆく。
自然農の巡りは決して絶えず、絶やさず、命の連鎖の中で次の命がまた育まれていく。作物も、雑草も、虫も風も雨も陽も、想いをもその巡りの中に包んで豊かさを増していくような気がする。
身を切る北風を受けて臆面なく翌春へ身を預ける草々のごとく、己への困難と機会を正面に受け止めたい。どんな停滞も悩みも自己嫌悪も、自然農の田畑のように全てが繋がれて巡るごとく。ためらわず、逆らわず、枯れてみる。それこそが次の命の源であるから。
2008年11月21日
宣伝
神無月二十四日 晴れ
茨城放送 1458kHz
サンシャイン・カフェ Siesta の番組内にて
「つくいち」についての放送が予定されています。
11月25日 15:20〜15:30 の放送です。
とりいそぎー。
追伸:取材の様子はこんな様子でベッカライブロートツァイトの店内で行われました。声で届けるというのはやはり難しいものです。

放送当日は結局聴けず。つくいち当日にもアナウンサーの方が遊びに来ていただけるようです。次回の放送もあるかもしれませんね。
茨城放送 1458kHz
サンシャイン・カフェ Siesta の番組内にて
「つくいち」についての放送が予定されています。
11月25日 15:20〜15:30 の放送です。
とりいそぎー。
追伸:取材の様子はこんな様子でベッカライブロートツァイトの店内で行われました。声で届けるというのはやはり難しいものです。

放送当日は結局聴けず。つくいち当日にもアナウンサーの方が遊びに来ていただけるようです。次回の放送もあるかもしれませんね。
2008年11月15日
小旅行
神無月十八日 雨上がりの夜
秋葉原を21時48分に発つつくばエクスプレスで帰ると終着駅には22時40分に到着する。事前に確認しておいた、最寄のバス停までの最終バスに間に合う時間であった。その終バスに間に合うからと、横浜での今日の催しに参加してきたその帰り道の話。
駅の出口をでて左に折れると、バスまでまだ5分ある停留所の灯りが気のせいか薄暗くなっていた。つくばは夜が早い。駅ビルの代わりをつとめるショッピングモールは20時に店を閉じ、飲食店も22時には閉店を迎えて駅の周りはすっかりと静まってくる。そうした普段のつくば駅を知っているだけにその薄暗さに別段違和感を憶えず、バス停に立った僕を待っていたのは、最終バス22時40分の表示であった。
背中に軽い海外旅行並みのバックパックを背負い、無いと判っていながらも隣の筑波山行きのシャトルバスの停留所も確認してみた。が、やはり、あるはずもない。歩くか?いや、歩きたくない。タクシー?う…む…、なんと言う無駄遣い。思わず尻ポケットの財布に手を当てたその時、同様に無意味なバス停の時刻表をのぞきこむ青年の姿が目に留まった。おお我が同士。お前もか。そうそう、もうバスは無いんだよ。お前も歩くんだよ。そんな連帯感が生まれ始めたその時、僕はすでにその青年に話しかけていた。「筑波大学方面でしたら、タクシー乗り合いしますか?」
青年の合意は躊躇無く気持ちよいもので、行き先方向を確認して二人で踵を返してタクシー乗り場へ向かうことへ。その途中、またも無意味に停留所に立ち尽くす女性が一人。「せっかくですから。」と青年に確認する間もなく、声はすでにもう一人の同士に届いていたのだった。
そして、それだけの話。途中で順番に帰路に降ろし、割り勘を払い、それぞれの家へ。ただ、それだけの話。
なんだかそのそれだけの、乗り合いタクシーと背中のバックパックが懐かしくて、少し嬉しかった。最後の乗客となり、家まで残り500mほど手前の交差点で、「ここでいいです。」とタクシーを降り、街灯の無い田んぼ道を歩いて帰ることにしてみた。雨上がりの農道を歩いたその数百円のオマケで缶ビールを買って帰り、なんともうまい一缶に辿り着くことができたのだった。
乗り合いタクシーとバックパックと缶ビール。日本でもできる小旅行。終バスを逃したちょっとした出費と引き換えに手にした、とても緩やかな楽しさ。人間は、どこまでも楽しいのだ。
秋葉原を21時48分に発つつくばエクスプレスで帰ると終着駅には22時40分に到着する。事前に確認しておいた、最寄のバス停までの最終バスに間に合う時間であった。その終バスに間に合うからと、横浜での今日の催しに参加してきたその帰り道の話。
駅の出口をでて左に折れると、バスまでまだ5分ある停留所の灯りが気のせいか薄暗くなっていた。つくばは夜が早い。駅ビルの代わりをつとめるショッピングモールは20時に店を閉じ、飲食店も22時には閉店を迎えて駅の周りはすっかりと静まってくる。そうした普段のつくば駅を知っているだけにその薄暗さに別段違和感を憶えず、バス停に立った僕を待っていたのは、最終バス22時40分の表示であった。
背中に軽い海外旅行並みのバックパックを背負い、無いと判っていながらも隣の筑波山行きのシャトルバスの停留所も確認してみた。が、やはり、あるはずもない。歩くか?いや、歩きたくない。タクシー?う…む…、なんと言う無駄遣い。思わず尻ポケットの財布に手を当てたその時、同様に無意味なバス停の時刻表をのぞきこむ青年の姿が目に留まった。おお我が同士。お前もか。そうそう、もうバスは無いんだよ。お前も歩くんだよ。そんな連帯感が生まれ始めたその時、僕はすでにその青年に話しかけていた。「筑波大学方面でしたら、タクシー乗り合いしますか?」
青年の合意は躊躇無く気持ちよいもので、行き先方向を確認して二人で踵を返してタクシー乗り場へ向かうことへ。その途中、またも無意味に停留所に立ち尽くす女性が一人。「せっかくですから。」と青年に確認する間もなく、声はすでにもう一人の同士に届いていたのだった。
そして、それだけの話。途中で順番に帰路に降ろし、割り勘を払い、それぞれの家へ。ただ、それだけの話。
なんだかそのそれだけの、乗り合いタクシーと背中のバックパックが懐かしくて、少し嬉しかった。最後の乗客となり、家まで残り500mほど手前の交差点で、「ここでいいです。」とタクシーを降り、街灯の無い田んぼ道を歩いて帰ることにしてみた。雨上がりの農道を歩いたその数百円のオマケで缶ビールを買って帰り、なんともうまい一缶に辿り着くことができたのだった。
乗り合いタクシーとバックパックと缶ビール。日本でもできる小旅行。終バスを逃したちょっとした出費と引き換えに手にした、とても緩やかな楽しさ。人間は、どこまでも楽しいのだ。

