卯月十八日 曇りのち小雨
つくばエキスプレスの研究学園駅から、住まいのある栗原地区へ車を走らせるといつも、鼻の奥のほうから臍の下の辺りまで、深刻な不快な気持ちが染みのように広がる。
「つくばスタイル」という言葉がある程度定着し、つくばエキスプレスの駅周辺の開発が進められている様子を見るまでもなく、つくばは開発の波に飲まれている。小生が1995年に筑波大学に入学した頃のつくばに比べても、その変化のスピードは驚くべきものである。
まだ。まだ具体的な言葉にすることができない。しかし、研究学園駅からイーアスを過ぎて筑波山方面へ向かい、西大通り(国道408号)と交わるまでの新道路の左右に広がる景色を毎度眺めるたび、暗澹とした不安に襲われることだけは記しておく必要があるのだと思った。そこで目に映る区画だけでは決してない、はるかに大規模な面積で、今つくばの森と林が切り倒されている。自然農の田畑などとは比べ物にならない、はるかに大きな生態系が、つくばの地で今まさに、そして明日まさに、消え続けている。伐採、整地、宅地化、開発、まるで一方通行な光景。そして、それに疑問を差し挟む余地がないような、熱と、理屈と、人間の目指すもの。
おい、日本にそんなに人がいるのか?そんなに無作為に木を切り倒してどれだけの価値があるものが建つんだ? ブルドーザーが均し終えた剥き出しの土の上に降り立つカラスの群れは、今後の棲みかをどこに移せばいいんだ?ロハスって何?
おしゃれで手軽な田舎暮らしは、まるで無神経に見えてしまう乱開発の上にしか成り立たないのだろうか。果たして。
今、小生にできることはわからない。自然農を静かに歩みつつ、いったい何ができるのか。これ以上、今以上、無駄に木が切り倒されるのなら、つくばスタイルなんていらないんじゃないのか。適度な、適切な、つくばの生き方は他にないのか。政治では変えられないのか。経済ではもがくだけ無駄なのか。しかしこの「モヤモヤ感」だけは、放っておくわけにはいかないのだ。
ぜんたいつくばの人は、旧住民は、新住民は、開発業者は、行政は、どんな想いなのだろう。小生は、なにかできるだろうかね。何もわからないまま、書き連ねてみる。希望も絶望も、一歩踏み出すことからしか始まらない。
※今回の記事の周辺風景 by google map
大きな地図で見る
※地図付近の「学園の森」地区は、Wikipediaによればまだまだ開発されていくそうだ。
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2009年05月12日
2009年05月11日
そろそろ
卯月十七日 晴れ
エンドウ豆、苺、空豆。旬の野菜たちが、よほど食べてもらいたいのか、どんどん収穫期を迎え始めた。未熟ながら直売所の準備がままならないので、なんとかBlog上で貰い手を募集している。なんでこんなに美味いのかねしかし。
自然農2年目の畑ながらも、野菜も草も、自ずから然らしむるように育ち、実り、足跡を残しながら生きている。売れなければ全部自分で食べればよいし、来年の種として残してもよいし、畑にそのまま帰してあげてもよいし。経済学的に無駄だって? 無駄なものかよ。こいつらは何もない土の間で、自分で光合成して養分蓄えて、雨水を吸い上げて時々虫に食べられてあげて根っこにも微生物を住まわせてあげて、そのうえ人間にも食い扶持を分けてくれてるのだ。すごいねしかし、植物さんは。
まあとにかく直売所、いよいよそろそろ、建てねえと。
しかしなんだ、ビールのあてに自然農の苺ってのは、ちょっともったいないかしら。ヒック。
エンドウ豆、苺、空豆。旬の野菜たちが、よほど食べてもらいたいのか、どんどん収穫期を迎え始めた。未熟ながら直売所の準備がままならないので、なんとかBlog上で貰い手を募集している。なんでこんなに美味いのかねしかし。
自然農2年目の畑ながらも、野菜も草も、自ずから然らしむるように育ち、実り、足跡を残しながら生きている。売れなければ全部自分で食べればよいし、来年の種として残してもよいし、畑にそのまま帰してあげてもよいし。経済学的に無駄だって? 無駄なものかよ。こいつらは何もない土の間で、自分で光合成して養分蓄えて、雨水を吸い上げて時々虫に食べられてあげて根っこにも微生物を住まわせてあげて、そのうえ人間にも食い扶持を分けてくれてるのだ。すごいねしかし、植物さんは。
まあとにかく直売所、いよいよそろそろ、建てねえと。
しかしなんだ、ビールのあてに自然農の苺ってのは、ちょっともったいないかしら。ヒック。
2009年05月05日
2009年05月01日
種播き
如月七日 晴れ
里芋、ショウガ、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、カボチャ、ズッキーニ、コーン、オクラ、枝豆、インゲン、バジル、フダンソウ、モロヘイヤ、シソ、米、ヒマワリ、ソルゴー、セスバニア。最後の方は作物ではないものも入っていたな。とにかく、5月は種播きで一日も休みたくないほど、ウキウキとヤレヤレの忙しさを迎える。それに加えて、草刈り、小屋直し、直売所準備、小遣い稼ぎ、なんでもかんでも沸いてくる。やれ晩霜だ、やれ生育不良だ、乾燥だ、セイタカだ、チガヤだ、農薬だ、原因不明だ、と、作物も一筋縄ではスックリ育たないだろう。それでも、先日目に焼き付けてきた、30年続けられた自然農の田畑を瞼の裏から引っ張り出して、安心してまた畑に足を運ぶ。
気がつけばそこに、苗が育たんとしている。

ルッコラ

ビーツ

レタス
とにかく、種を播かねば始まらんのだ。 そしてとにかく、種を播けば、始まるのだ。
里芋、ショウガ、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、カボチャ、ズッキーニ、コーン、オクラ、枝豆、インゲン、バジル、フダンソウ、モロヘイヤ、シソ、米、ヒマワリ、ソルゴー、セスバニア。最後の方は作物ではないものも入っていたな。とにかく、5月は種播きで一日も休みたくないほど、ウキウキとヤレヤレの忙しさを迎える。それに加えて、草刈り、小屋直し、直売所準備、小遣い稼ぎ、なんでもかんでも沸いてくる。やれ晩霜だ、やれ生育不良だ、乾燥だ、セイタカだ、チガヤだ、農薬だ、原因不明だ、と、作物も一筋縄ではスックリ育たないだろう。それでも、先日目に焼き付けてきた、30年続けられた自然農の田畑を瞼の裏から引っ張り出して、安心してまた畑に足を運ぶ。
気がつけばそこに、苗が育たんとしている。

ルッコラ

ビーツ

レタス
とにかく、種を播かねば始まらんのだ。 そしてとにかく、種を播けば、始まるのだ。
2009年04月30日
しもじも
如月五日 晴れ
一日前の天皇誕生日の朝。霜、降臨。この時期、この地方ではなかなかに遅い頃の降霜。つくばに戻って久しぶりに対面したら、みんながしおれていた。
そんなこんなでしばし悲鳴が飛びあっていた休日のつくし農園。霜についていろいろ考えてみました。
⇒つくし農園Blog参照

霜枯れしたジャガの芽

なんとか無事なジャガの芽
凹みつつ、楽しみつつ、受け入れながら。レッツ自然農。YES。
一日前の天皇誕生日の朝。霜、降臨。この時期、この地方ではなかなかに遅い頃の降霜。つくばに戻って久しぶりに対面したら、みんながしおれていた。
そんなこんなでしばし悲鳴が飛びあっていた休日のつくし農園。霜についていろいろ考えてみました。
⇒つくし農園Blog参照

霜枯れしたジャガの芽

なんとか無事なジャガの芽
凹みつつ、楽しみつつ、受け入れながら。レッツ自然農。YES。
2009年04月22日
しばし
弥生廿七日 晴れ

三日前から暦は「穀雨」。晴れが続いては雨を待ち、そのひと雨ごとに草達がぐんと空を見上げる。この時期一番好きな風景が、この、ジャガイモの地割り。力強く、土をかき分けてようやく到達した空気をモグモグと味わっているような、濃緑色の生命力。種播きに追われて脳みそがパンクしそうになるこの頃、その毎日増え続ける発芽をみては安心させられる。
毎日を田畑に費やすべくこの時期に、しばし姿をくらますことにした。原点と、気分転換と、休息と、再会と、見聞をごちゃ混ぜに予定して、ちょっくら旅にでます。ごめん、お前ら。GWにはたっぷり面倒みるからよ。

【穀雨】…春雨降りて百穀を生化すれば也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 冬:春=1:9
穀雨とは、百穀を潤す春雨をいう。
この頃は春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑を潤して
穀物などの種子の生長を助けるので、種まきの好期をもたらす。
雨が長引けば菜種梅雨となる。
※読み:コクウ
<参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ>

三日前から暦は「穀雨」。晴れが続いては雨を待ち、そのひと雨ごとに草達がぐんと空を見上げる。この時期一番好きな風景が、この、ジャガイモの地割り。力強く、土をかき分けてようやく到達した空気をモグモグと味わっているような、濃緑色の生命力。種播きに追われて脳みそがパンクしそうになるこの頃、その毎日増え続ける発芽をみては安心させられる。
毎日を田畑に費やすべくこの時期に、しばし姿をくらますことにした。原点と、気分転換と、休息と、再会と、見聞をごちゃ混ぜに予定して、ちょっくら旅にでます。ごめん、お前ら。GWにはたっぷり面倒みるからよ。

【穀雨】…春雨降りて百穀を生化すれば也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 冬:春=1:9
穀雨とは、百穀を潤す春雨をいう。
この頃は春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑を潤して
穀物などの種子の生長を助けるので、種まきの好期をもたらす。
雨が長引けば菜種梅雨となる。
※読み:コクウ
<参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ>
2009年04月07日
あかん
弥生十二日 晴れ
あかんね。軸がぶれてる。芯が定まらずに迷ってる。
根を生やそう。根を。茎を伸ばそう。己れの速さで。
好きなことをやらんと。踏み出さんと。

二日前のつくいちから、暦は清明へ。季節は待たない。置いていかれぬよう。
【清明】…万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 冬:春=3:7
清明は「清浄明潔」を略したもの。
「万物ここに至って皆潔斎なり」と称されるように、
春先の清らかで生き生きした様子をいったものである。
この頃になると、春気玲瓏にして、桜や草木の花が咲き始め、
万物に晴朗の気があふれてくる。
※読み:セイメイ
<参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ>
あかんね。軸がぶれてる。芯が定まらずに迷ってる。
根を生やそう。根を。茎を伸ばそう。己れの速さで。
好きなことをやらんと。踏み出さんと。

二日前のつくいちから、暦は清明へ。季節は待たない。置いていかれぬよう。
【清明】…万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)
★雑草屋的季節分布★ 冬:春=3:7
清明は「清浄明潔」を略したもの。
「万物ここに至って皆潔斎なり」と称されるように、
春先の清らかで生き生きした様子をいったものである。
この頃になると、春気玲瓏にして、桜や草木の花が咲き始め、
万物に晴朗の気があふれてくる。
※読み:セイメイ
<参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ>
2009年03月27日
2009年03月25日
子豚のテント
如月二十九日 雨
つくばはこのところ寒の戻り。冷たい曇り空と、吹き荒ぶ筑波颪に体が縮む。今日は雨、午前はなんとか焚き火もしながら堪えたが、本降りを迎えてあえなく部屋へと戻った。雨宿りの場所が、今日はなかったからだ。
昨日の出来事、自転車で畑に向かう途中で、遠景に農園の目印にもなっている白テントがはっきりと歪んでいるのが目に飛び込んできた。嫌な予感。コタツをつけたままにして三泊四日の旅に出てきてしまった時に感じるようなあのどうしようもなさを、数倍ほどにした寂寥感。ああ、こういうことって起きるのだね。
畑に着くと、昨年の真夏の時期に農園のプレーヤーの力をあわせて立てたテントは、背骨部分に当たる金属パイプがグニャリと曲がって一部の足場も引き抜かれて無残に崩壊していた。分析しても後の祭りなのだが、後学の為に考察してみる。テントは白いビニルシートが固定されていて、通常の暴風では考えられないような金属パイプのゆがみが特徴的である。おそらく、昨年の冬の畑で何度か目にしたつむじ風が、テント内部に入り込んで下から持ち上げ(もしくは横に殴りつけ)ながら通り抜けていったのだろう。基礎などのない半固定のテントであるが故に風が抜けるようにガランドウの構造にしていたのがアダとなった。テントに重しとして立て掛けていた廃材の木戸類も跳ねるように散在し、割れたガラスが散らかっていた。来園して作業していたプレーヤーのmさんにお手伝いいただいて、ビニルシートを外してパイプも解体し、ガラスも拾って木戸も移動して、荷物をまとめなおすことができた。綺麗な跡地には、少々の心地良さすら覚えるのだった。

在りし日の雄姿
↓ ↓ ↓

諸行無常
色々考えることはあるが、次、ではある。梅雨までにはゆっくりと再建したいと思い、少しずつまた考えながら立ていこう。何もない畑地に、テントを組み、物置小屋を設置した昨年。そこに訪れたつむじ風。一瞬でひしゃげた金属物。そしてまた再建の思考。何故かわからないが、喪失感と同時に発生した、安堵感。何もないところに組み立てて、それが自然の力で壊れて、また組み立てようとする不思議な開放感。物は壊れて、そしてまた産まれるという再生のテーゼなのか。はたまた、あるはずのモノが簡単になくなった時に抱かされる無常のテーゼなのか。
「うわあ、壊れたかあ!」という気持ちで残念がる暇などなく、「いやでもしょうがないか」という諦観が訪れる。その諦観は、出来上がったものを用意されるアメニティに浸るのではなく、無いことを前提に進んで必要なものを少しずつ作っていく好奇心とセットとなり、世の中をなんでも楽しめるスパイスにすらなり得る。それで行くしかないし、それでいいのだと思う。もちろん、「絶望」などという言葉とは程遠いこの「平和」な日本で生活する限りにおいての、お気楽な感性ではあるのだが。自然農の農園を、この日本で、何かしら意味があると思って続けていく、そのためにこのお気楽さを携えていこう。風で飛ばされるような、3匹の子豚のテントを何度も立てながら。
いや、どうせなら今度は壊れないように。
つくばはこのところ寒の戻り。冷たい曇り空と、吹き荒ぶ筑波颪に体が縮む。今日は雨、午前はなんとか焚き火もしながら堪えたが、本降りを迎えてあえなく部屋へと戻った。雨宿りの場所が、今日はなかったからだ。
昨日の出来事、自転車で畑に向かう途中で、遠景に農園の目印にもなっている白テントがはっきりと歪んでいるのが目に飛び込んできた。嫌な予感。コタツをつけたままにして三泊四日の旅に出てきてしまった時に感じるようなあのどうしようもなさを、数倍ほどにした寂寥感。ああ、こういうことって起きるのだね。
畑に着くと、昨年の真夏の時期に農園のプレーヤーの力をあわせて立てたテントは、背骨部分に当たる金属パイプがグニャリと曲がって一部の足場も引き抜かれて無残に崩壊していた。分析しても後の祭りなのだが、後学の為に考察してみる。テントは白いビニルシートが固定されていて、通常の暴風では考えられないような金属パイプのゆがみが特徴的である。おそらく、昨年の冬の畑で何度か目にしたつむじ風が、テント内部に入り込んで下から持ち上げ(もしくは横に殴りつけ)ながら通り抜けていったのだろう。基礎などのない半固定のテントであるが故に風が抜けるようにガランドウの構造にしていたのがアダとなった。テントに重しとして立て掛けていた廃材の木戸類も跳ねるように散在し、割れたガラスが散らかっていた。来園して作業していたプレーヤーのmさんにお手伝いいただいて、ビニルシートを外してパイプも解体し、ガラスも拾って木戸も移動して、荷物をまとめなおすことができた。綺麗な跡地には、少々の心地良さすら覚えるのだった。

在りし日の雄姿
↓ ↓ ↓

諸行無常
色々考えることはあるが、次、ではある。梅雨までにはゆっくりと再建したいと思い、少しずつまた考えながら立ていこう。何もない畑地に、テントを組み、物置小屋を設置した昨年。そこに訪れたつむじ風。一瞬でひしゃげた金属物。そしてまた再建の思考。何故かわからないが、喪失感と同時に発生した、安堵感。何もないところに組み立てて、それが自然の力で壊れて、また組み立てようとする不思議な開放感。物は壊れて、そしてまた産まれるという再生のテーゼなのか。はたまた、あるはずのモノが簡単になくなった時に抱かされる無常のテーゼなのか。
「うわあ、壊れたかあ!」という気持ちで残念がる暇などなく、「いやでもしょうがないか」という諦観が訪れる。その諦観は、出来上がったものを用意されるアメニティに浸るのではなく、無いことを前提に進んで必要なものを少しずつ作っていく好奇心とセットとなり、世の中をなんでも楽しめるスパイスにすらなり得る。それで行くしかないし、それでいいのだと思う。もちろん、「絶望」などという言葉とは程遠いこの「平和」な日本で生活する限りにおいての、お気楽な感性ではあるのだが。自然農の農園を、この日本で、何かしら意味があると思って続けていく、そのためにこのお気楽さを携えていこう。風で飛ばされるような、3匹の子豚のテントを何度も立てながら。
いや、どうせなら今度は壊れないように。
2009年03月21日
テキトウDay
如月二十五日 晴れ
結構テキトウに生きている毎日です。今日は何だか半断食の判断時期のような気がしてとりあえずテキトウに八朔を食ったりジャワティーを飲んだりしながら畑作業もモリモリやった。前の晩にあまり寝つきが良くなくてそれは多分色々なことが体に起こっているサインであるのはわかっていて、そんなこんなでまるで徹夜をした時のような茫漠とした体とマインドの遊離を憶えながらの一日だった。食欲はほとんど無いながらも疲労というか混沌というかそんな体の訴えに従って、風呂に入って飯を食うという至福コースを思い描きながら夕日の家路に着いた。
先日精米したての、『コシヒカリ1:イセヒカリ1:旭竜1:川口さん米1:香り米1:神丹穂2』という神業ブレンド(という評価をいただいた)を土鍋で炊いて、菜の花の素茹でと、ゴボウとネギの味噌汁。

ホカホカの湯上りでの夕飯。米の甘旨さと味噌汁のゴボウの風味と菜の花の味付け無しの滋味がなんか凄いことになってます。うますぎます。とはいえたくさん食べたい欲求はわくことなく、腹5分目ほどで満腹というか満足というかなんか体がOKサインをだしてきた。することもなく、飯は食えど頭と体のズレはもう少し続きそうで、布団を敷いて寝ることにした20時。なんだこの早い就眠は。
2時間後、眠りが体の中に入ってきてくれず、とはいえ本を読むわけでもなく、さりとて散歩するのも億劫で、なにやらテキトウにこの違和感を書き連ねることにした。梅干をほぐした白湯(さゆ)をキーボードの前に置いて、眠りが訪れてくれるのを待ちつつ。なんかテキトウだなあ俺。明日は春の嵐だと?ブルーベリーの苗木を取りに行くんだけどなあ。ええと、少し、果樹もトライです。なんでも、やってみる。「やりたいことは、やれ」「コントロールできないことはしない」と、いつだか殴り書きしたA4用紙が机の奥の壁からこちらをにらんでいる。22時なのに、まるで深夜のような深みのある夜の感覚。
たぶんこれ後で読みたくないなあ。まあよし、今日はテキトウ。
まだ眠くはならないのだが、この辺で。みんな、酒飲んで喋りましょうよ。
追伸:今日こんなテキトウな1日をすっかり付き合っていただいてSちゃんありがとうさま。イエイ。
結構テキトウに生きている毎日です。今日は何だか半断食の判断時期のような気がしてとりあえずテキトウに八朔を食ったりジャワティーを飲んだりしながら畑作業もモリモリやった。前の晩にあまり寝つきが良くなくてそれは多分色々なことが体に起こっているサインであるのはわかっていて、そんなこんなでまるで徹夜をした時のような茫漠とした体とマインドの遊離を憶えながらの一日だった。食欲はほとんど無いながらも疲労というか混沌というかそんな体の訴えに従って、風呂に入って飯を食うという至福コースを思い描きながら夕日の家路に着いた。
先日精米したての、『コシヒカリ1:イセヒカリ1:旭竜1:川口さん米1:香り米1:神丹穂2』という神業ブレンド(という評価をいただいた)を土鍋で炊いて、菜の花の素茹でと、ゴボウとネギの味噌汁。

ホカホカの湯上りでの夕飯。米の甘旨さと味噌汁のゴボウの風味と菜の花の味付け無しの滋味がなんか凄いことになってます。うますぎます。とはいえたくさん食べたい欲求はわくことなく、腹5分目ほどで満腹というか満足というかなんか体がOKサインをだしてきた。することもなく、飯は食えど頭と体のズレはもう少し続きそうで、布団を敷いて寝ることにした20時。なんだこの早い就眠は。
2時間後、眠りが体の中に入ってきてくれず、とはいえ本を読むわけでもなく、さりとて散歩するのも億劫で、なにやらテキトウにこの違和感を書き連ねることにした。梅干をほぐした白湯(さゆ)をキーボードの前に置いて、眠りが訪れてくれるのを待ちつつ。なんかテキトウだなあ俺。明日は春の嵐だと?ブルーベリーの苗木を取りに行くんだけどなあ。ええと、少し、果樹もトライです。なんでも、やってみる。「やりたいことは、やれ」「コントロールできないことはしない」と、いつだか殴り書きしたA4用紙が机の奥の壁からこちらをにらんでいる。22時なのに、まるで深夜のような深みのある夜の感覚。
たぶんこれ後で読みたくないなあ。まあよし、今日はテキトウ。
まだ眠くはならないのだが、この辺で。みんな、酒飲んで喋りましょうよ。
追伸:今日こんなテキトウな1日をすっかり付き合っていただいてSちゃんありがとうさま。イエイ。




